俺はお前より先に絶対に死なない

〇〇な話

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俺はお前より先に絶対に死なない

最近立て続けに大切な人たちがこの世を旅立ってしまいました

親が先に旅立つのは仕方のないことなのかもしれません

子供が先に旅立ってしまうことほど辛いことはないでしょう

自分の伴侶の場合はどうでしょう・・・真剣に考えてみるきっかけになりました

自分の過去を振り返るつまらない思い出話となりますが、ちょっとお付き合い頂ければ嬉しいです

あまりにも突然のお別れ

●二年ほど前の出来事でした

警察から連絡が有り、「〇〇さんですね、〇〇さんが亡くなりました」との電話がありました

その時耳にしたのは父の名前でした、私の両親は私が幼い頃に離婚していたため一人暮らしでした

離れて暮らしていたため、たまにしか行かなかったのですが持病も無く元気でピンピンしていたためこりゃ~まだまだ長生きするぞ~なんて思っていたのですが・・・親はいつまでも居るもんだ、なんて勝手に思っていました

夜中に喉が渇いたのでしょう、台所に水を飲みに行ったところで倒れていたそうです

可哀想に・・・一緒に住んでいれば早く発見できて今でも元気に生きていたのかもしれません

●そして去年は母親がコロナで他界してしまいました、入院する時は「大丈夫、すぐに帰って来るから」と・・・わずか5日後の亡骸を見た時は何を見せられているのか本当に理解できませんでした

あんなに元気でユーチューブも頑張っていた母親でしたので、こんなに簡単にこの世の人では無くなってしまう現実を暫くの間受け入れることができずにいました

●去年同じくして大切な娘・・・娘とは言っても亀さんのことなのですが、22年も一緒に居ると娘も同然だったのです

何だ亀かよと思う方も居るかもしれませんが、私の事をよく観察している亀のメッコちゃんでした

最初は冗談半分で水槽に顔をくっつけて悩み事を話していると、メッコちゃんも近づいてきて話し終わるまでずっとピッタリと水槽に顔をくっつけて話を聞いてくれます

最初はご飯が欲しいだけかなと思っていましたがそうでは有りませんでした、ご飯のときと明らかに動きが違うのです、ご飯の時は大急ぎでバタバタと急いで寄ってきて「お腹すいた!」と言わんばかりなのですが

私が話がしたい時に近寄って行くと、メッコちゃんが寝ていても「あれ?」という感じで振り向き、「何か有ったの?」とでも言うような感じでゆっくりと近づいて来てくれるのです・・・

そばを通ればいつも「遊んで~」という風に首を伸ばしてじっと私を見つめていましたよ

今思い出しても涙が出てきます

お庭のお散歩の時は子供のようについて来ます、頭と喉を撫でられるのが好きで、撫でてあげると目を閉じて気持ちよさそうにしていました

こんな悲しい思いを立て続けにしてしまうと感情なんて無ければ良いのにと思ってしまいます

親父

小さい頃は、ただただおっかないだけの親父で、いつもビクビクしていたのを覚えています(笑)

休みの日位いくら子供でもゆっくり寝ていたいですよね、それでも自衛隊上がりの親父は朝7時になると私が寝ている布団を無理矢理にひっくり返して「朝です~窓です~ひ~か~り~です~」とか歌いながら剥ぎ取っていきます、そして子供はいつまでも寝てるんじゃ無い!とまくし立ててくるのです

テレビで漫画でも見てようものなら「ニュース見ろニュース!」とチャンネルを回してしまいますので、親父の居ない時間にしか漫画は見れませんでした

親父の許可が降りるテレビ番組と言えば、「野生の王国」「兼高かおる世界の旅」「新日本紀行」等々・・・学校でみんな見てる!と言って唯一許されたのが「8時だよ全員集合」「クイズダービー」って感じでしたね、同年代の方々は思い当たる節も有るのでは?まあ今となっては懐かしい思い出の番組になり、ユーチューブで探してしまったりしますけどね

そんな親父でしたが、マメなところは人一倍で、クリスマスやお正月、節分や誕生日と言った全てのイベントごとはしっかりと楽しませてくれました、いつもしかめっ面の親父もそんな時だけは嬉しそうにしていたのを覚えています

私が小学生の時に両親は離婚していて私は母に育てられたので、幼い時の親父の記憶はほぼこれくらいしか有りませんが、独立してからはちょいちょい孫を見せに行ったり、一緒に出かけたりしました

頑固な親父でしたが、孫の顔を見る時はまるで別人で、私が子供に注意しようものなら「そんな事でいちいち怒らなくていい」なんてね、自分はどうだったんだい?なんて言いたかったのを思い出します

おふくろ

おふくろと小さなアパートでの暮らしが始まりました

幼かった私は怖さとか心配とか全く無く、むしろこれから始まる生活にワクワクしていたのを覚えています、正直言うと、ただただおっかなかった親父が居ないので好きな事ができるなんて甘い考えが有ったのは確かです

おふくろも大変ながらも毎日が楽しそうでした、仕事でヘトヘトになっても、朝から晩まで一生懸命に働いていました

事務職で働いていたようですが、当時はまだ「オフコン」オフィスコンピューターと呼ばれていた時代です、それを使って仕事してるんだよ!なんて誇らしげに話していました

ただそれだけでは暮らしていくことができずに、仕事終わりに銀座でピアノ弾きのバイトをしてから帰宅していました

そこでアレ?と思う人もいるかも知れません、君のご飯は?幼い君はどうしていたの?って

そうなんです、わたしはほぼ自炊ができるようになっていました、とは言ってもご飯を炊くとかウドンを作るとか簡単なおかずを作る程度で、冷蔵庫に入っている惣菜と合わせて食べるみたいな事を毎日の様にしていました

おふくろが頑張っているんだから俺だって頑張らなきゃ!って思ったかどうかは覚えていませんが、ヘトヘトになって帰って来るおふくろになるべく負担をかけないようにしようと思っていたのは確かです

その頃住んでいたアパートには風呂が有りませんでした、なので近くの銭湯に行くことになります

おふくろと一緒に行くのですが、幼かった私は出るのが早く、おふくろは遅いのでいつも待たされる事になるのですが、その銭湯には新しい漫画がたくさんあり、出てから漫画を読むのが楽しみで、全然苦にはならないどころか毎日が楽しみでした、たまに買ってもらえるリンゴジュースが嬉しかったのを今思い出しました

私が物心付いた頃には、少しだけ生活にも余裕ができ、ワンルームの風呂なしアパートから2LDKのマンションへと変わります

私は全く気にした事は無かったのですが、大人になってから聞いた話で、おふくろは片親だということを不憫に思っていたようです、その為か結構好き勝手なことをさせてもらいました

ステレオコンポ、ロードバイク、オートバイ、洋服、ラケット等々

私もアルバイトをしていましたが、殆どおふくろが払ってくれていたのだと思います

私も就職、結婚、かみさん、子供と大切なものが増え生活することの大変さや頑張れる訳を実感しながら生きてきました

おふくろは老後、小さい頃からやっているピアノを活かしピアノ教師やユーチューブ等で毎日を精一杯生きていました

きっと天国でもピアノをみんなに聞かせていることでしょう

めっこちゃん

上の子供が5歳の時、とあるデパートの一角に設けられたコーナーにそのカメさんはいました、まだ500円玉位の小さな小さなカメさんです

可愛いね~カメさんだと言うと、私より先に食い入るように見ていた子供が「これほしい」と言います

いつもは何を見ても欲しいと言わない子が「これ欲しい」と・・・

私は「この子は生き物だから、ちゃんと飼ってあげないと死んじゃうんだよ」と言うと「ちゃんと飼うから欲しい」と頑なに引かない態度をとるので、どうせ俺が面倒を見ることになるだろうな、まあ生き物を飼うのも教育上良いのかも知れないと思い飼うことにしたのです

それがめっこちゃんとの出会いでした

冒頭でも少しお話しましたが、本当に良く話を聞いてくれるカメさんでした、じっとしたまま目を見つめ30分でも離れずに話を聞いてくれたものでした

もしかしたら昔飼っていたワンコちゃんとかの生まれ変わりなんじゃないかなんて思うくらい、もっと言えば人に見えてくるくらい、言葉を理解してるの?なんて思うときも有りました

頭を撫でてあげると気持ちよさそうに目を閉じて首を伸ばしてきますので、今度は頭を摘むように喉も撫でてあげると目一杯首を伸ばして、もっと撫でて~~と言っているようでした

毎日お風呂タイムが有るのですが、流しでシャワーをかけながらブラシでゴシゴシします、背中もお腹もゴシゴシするのですが、くすぐったいようで少しジタバタします、声を上げて笑っている様にさえ見えます、嫌がっているのではないことは分かるのでしばらく遊んであげます

水槽の水を毎日入れ替えるのですが、シャワー後は気持ちよさそうにスイスイ~といつも泳いでました

カメさんの寿命は長く、まだまだ一緒にいられると思っていたのに・・・

私の不注意だったのだと思います、肺炎にさせてしまい

本当にごめんね、もっと一緒にいたかったよ

俺が先に死ねないね

先に逝かれる事は本当に辛い辛いことですね

先日カミさんとこんな話をしました、死んでしまう本人も辛くて可哀想だけど、残された方はもっともっと辛いよね、その現実と向き合って生きて行かなければならないんだから、思い出が山のようにのしかかって来て、どこへ行っても一緒に居た時の思い出だらけ、絶対に先に死なないでよ!と、いつもお互いに言っているのですが

本当にその通りです、できれば私も先にあの世に行きたいのですが、残されたカミさんとワンコの事を思うとそういう訳にはいきません

ワンコちゃんは最後まで看取ってあげるのが飼い主の当たり前の義務です、もし飼い主が先に死んでしまって他の飼い主の元へ行かなければならなくなってしまったら・・・

ちゃんと散歩連れて行ってもらえるかな、遊んでもらえるかな、ご飯ちゃんとくれるかな、いじめられてないかな・・・

うちのワンコは16歳になった老犬なので、散歩って言ってもただ行けば良いってものでは有りません、ちゃんとワンコのペースで、無理に引っ張ったりせずにゆっくりゆっくりとのんびりした時間を過ごしてあげなければ駄目です

ご飯もちゃんと老犬用の体に負担がかからないけれども、しっかりと栄養がとれるご飯でなければなりません、そうそう、アンチノールもしっかりあげてくれないと・・・

老犬になり、顔も白っぽくなり、歩く速度も遅くなり、寝ている時間が多くなり、遊ぶ時間も減ってきましたが、増えたものが一つだけ有ります

それはワガママ(笑)

今まではお腹空いてもじっと我慢して1・2回ワンワンと催促してくる感じでしたが、今では出してくれるまで「くれワン!早くくれワン!」と言ってきます、お散歩も同様です

可愛くて可愛くてしかたありません、老犬になって益々可愛くてしかたありません、もっともっと世話かけて良いのに小さい頃から本当に聞き分けが良すぎて手間のかからない子でした、もっとワガママ言っていいから長生きしてね!と毎日願いを込めて一分一秒を大切に過ごしています

そして問題はカミさんです(笑)

万が一私が先に逝ってしまったら、きっとカミさんはこの家に一人で住めないでしょう、なんで?とお思いでしょう、だって人一倍の怖がりで夜になると一人で2階に行けません(笑)昼でもテレビで怖い話を見ようものならもう2階はおろか風呂場にも行けません・・・

本当にどうなっちまうんだろって思いますよ、本人も言ってます「あんたが先に死んだら家にも入れない」って、アホか!自分の家だろ!って言うのですが・・・どんだけ怖がりなんだよまったく

そこで大丈夫、俺が先に死んだら必ず出てきてやるから!と言うと「それはそれで怖い」とのこともうだめだこりゃですね

でも本当は先に逝かれたら辛いだけ・・・これに尽きますね

若い頃はこんな話なんてまったくしなかったのですが「死」が現実味を帯びてくると、こんな話も出てくるようになります

そこら中思い出だらけ、部屋の中、街中、至る所に一緒に行った思い出だらけ、一緒に笑った思い出だらけ、時には喧嘩したことも・・・それも生きていればこそできる思い出

死んでしまったらもう二度と、どんな事があっても会うことができない・・・

死んだらどうなるんだろうなんて小さい頃はよく考えましたが、大人になると解ってきます、どうにもならないんだと・・・

違う次元があったり天国があったり、また会えたりすれば本当に嬉しいのですが、多分そんな事は無く

地球上で奇跡の誕生をを迎えて奇跡の出会いをし、また土へと帰って行くのでしょう、私も不思議な体験は何度かしているので、そんな風には考えたくは無いのですが、親父やおふくろやめっこちゃんが姿を現してくれないので・・・多分脳内の錯覚や偶然が起こしたことだったのだろうと思っています

そう考えるようになった今

もし俺が先に死んでしまったら何もしてやれない、ただただ悲しませて辛い思いをさせ泣き崩れる姿を想像するだけでこっちが悲しくなる

でも世の中の殿方が、いやいやそんな事は無いよ~カミさんってのは旦那が先に死んだら最初は悲しむかもしれないけど、案外ケロッとして元気に楽しく生きて行くもんだよ~と仰ってる方の声が聞こえてきますな~~

確かにそうかもしれません、でもね、その「最初の悲しみ」を味あわせたく無いんです

私も時が経ち、少しずつ悲しみは薄らいで来るのは分かります、が

みなさんもご経験がお有りでしょう、あの心労は言葉では言い表せないものでしたよ

いつもどこに行くのも一緒だった、30年以上も連れ添った人がある日突然居なくなったら・・・想像するだけで絶望感が漂います、多分自分ならなんの気力も無いまま無意味な日々を過ごしていくとでしょう、そんな思いは絶対にさせられません

だからね

俺はお前より先に絶対に死なないから大丈夫だよ

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