貧乏なんて関係ない幸せなあいつ(現状は自分が決めた事?)

〇〇な話

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●幸せの形って(現状は自分が決めた事)●

 

現状は過去の自分が望んだ通り?

誰も不幸な未来を望む人なんて居るわけ有りませんよね、でもそれを現状は自分が望んだことだと言う人が居ます

まあ私はどちらかと言えば、そうなんだろうな、と思わざる負えない現状ですが(笑)

 

現在私は普通の会社員で有り普通の給与をもらいごく普通の生活をしているつもりでは有りますが、上を見ればキリが有りませんよね

今話している仲間なんかは、貧乏から大金持ち迄ありとあらゆる仲間が居ますが、何故か皆卑屈なものは一人も居なく、現状をしっかり受け入れ?それなりに納得している様です、例えば・・・

幸せの形って?

大金持ちA氏は、高級車3台を所有、地下室にスタジオ&映画館、綺麗な嫁さんと3人の可愛い子供に恵まれ何不自由無い暮らしをしているように見えます

見えますというのは傍から見た感じですよ、そりゃーそんな暮らししてれば「良いよな~」って思うじゃないですか!

でもね、その生活スタイルを聞いてみると俺には無理だ・・・なんて思ったのですよ

 

朝3時起床、ストレッチから始まりコーヒーを飲んでからの昨日の資料のチェック確認及び本日分、5時に朝食そして社員の誰よりも早く7時には会社に到着

最近はコロナ禍ということも有り取引先との接待も無くなった分、逆にフォローしなければならない事が増えたとかで、帰宅時間はいつも9時過ぎだとか

「寝る時間無いじゃん」

休みという休みは殆ど無く、常にあっちこっちへ視察やプロジェクト計画とかとか

子供の行事にも参加できず遊ぶ暇も無い・・・

そんな事毎日やらないとその生活が維持できないなら遊び優先の俺には無理だと思いましたよ、努力無しにセレブ生活はできないんだな~

 

逆に貧乏B氏の場合、50過ぎですがアルバイトで生活を繋いでいます、もちろん奥さん子供もおり、奥さんは2つの仕事を掛け持ちしながら健気にも暮らしを支えています

そのBですが、今だにミュージシャンくずれをやっており、たま~にライブやドサ回りなどもしています、本人自ら貧乏ミュージシャンと言っていますので遠慮なく言えますが

本当に貧乏です(笑)家族四人で築40年のアパート2LDK で暮らし車はボロボロの軽自動車がメインカーとなります

 

ですがですよ、そこで私は思い知らされる事になるのです

この前Bのところへ行く機会があったので子供にお土産を買い込んで遊びに行った時のことです

都内下町の古臭い路地の一角にそのボロアパートは存在するのですが・・・

私がその路地に入ると知らない人が「こんにちは、今日は暑いね、熱中症に気をつけな!」

私はビックリして「はい」しか言えなかったのですが

またまた「お?見かけね~顔だな~どっか行くのかい?」

私は「あ、B氏という家へ・・・」と言いかけると

「あ~さっきフラフラしてやがったから居るんじゃね~か、ガキンチョもウロウロしてたぞ」と言われ

「あそうですか、どうも」といいその場を後にしたのですが、Bがここを離れられない理由はこれか・・・と思いましたよ

まるで家族、まるで家族なんですよ近所の人たちが

 

昔良く居ませんでしたか?俺なんかは結構悪ガキだったみたいで良く近所のおっちゃんに怒られてましたよ、でもね、その後どっさりお菓子くれたりなんかしてね、すごく温かかった事を一瞬にして懐かしさとともに思い出しました

街の雰囲気もどこか昭和初期の懐かしさが残っています

 

ここは子供のためにも離れないほうがいい場所なんだな、と 理解しました

その時鮮明に思いましたね、幸せってこんなにも価値観の違うものなんだってね

もちろん大金持ちA氏を否定するものでは有りませんよ、それはそれで羨ましいし、Aの幸せのカタチなのでしょう

 

その後B氏家族に会い色々な話をしました、子供達は特に今の子供達には無い子供らしさが有りましたよ

最初こそ猫かぶってましたが、慣れてくると「遊ぼ遊ぼ~~~」と肩までよじ登って来る(10才と6才)し(笑)

帰る時なんか「まだ遊ぼ~よ」と言って泣き出すし

ホント他所様の子でも可愛くて仕方ないもんですよ

うちの子供たちはとっくに成人して結婚してしまったので、なおさら懐かしく、可愛く、連れて帰りたいくらいでしたw

 

話は逸れましたが

本当の幸せってこんなに価値観が違うものなのか・・・と帰りの道中ずっと考えさせられました

それどころか多分私はBの事を少し安く見積もっていました、本当に失礼な話ですが「50過ぎてアルバイトじゃなくてせめて社員になれよ」なんて偉そうな事も言ったことも有ります

けれど彼Bは微笑んだまま「俺にはこれが合ってんだよ」と。

 

その意味がさっき分かった様な気がしましたよ、あいつはあいつなりにしっかり足元を見て暮らしてたのか

逆に何も見ること無く流されて来たのは俺の方だったのか  と

 

俺は今まで特に何かを追いかける訳でも無く普通の会社に就職して普通に家族を持ち普通に生きてきた普通の人間なのか・・・と思うと少し居ても立っても居られないような感情が押し寄せてきましたが

きっとこれも正解なのだと言い聞かせながら帰路につきました

未来は現在の自分が決める

これ当たり前だろ!って思いますよね

でも結構難しいことだと思いませんか?

もし現状の自分が最悪な状態だとしたら?それでも未来は過去の自分が決めた事だからと言いきれますか?

「過去の自分が決めた未来が現状となって表れてるんだよ!」と言われたら

渋々納得するしかないのでしょう

 

人生にはいくつもの岐路が有るとよく言われます

確かに「あの時あ~すりゃ良かったな~」なんてニャースじゃありませんがそう思ったりしたことが何度も有ります

あの時あーしとけばこんな事にはならなかったのにとか、あの時こうしとけばもっと良い結果が得られたのになんて考えますが

それはやってないから想像上ガッカリしてしまう訳で、もしやっていたらもっと悪い結果になっていたかもしれませんし、想像通り良い結果になっていたのかもしれません

 

何が言いたいかというと

やらなかったことへの期待値はとても高く、なってしまった現状へは後悔ばかり・・・

つまりドラえもんが知り合いでも無い限り、生きている間何をどうやったって後悔する現状は変わらないということですね

ならば!未来を変えるために少しでも現状をもっと良くするよう動く!努力する!以外には無さそうです

現状をだれかのせいにしても何も変わりませんが、全て自分のせいならいくらでも変えようが有るじゃ有りませんか!

 

な~んだ簡単なことだ、やれば良いだけですわって・・・

いやいやでも簡単じゃ無いって思えば簡単じゃ無くなるのも分かってますがやはりシンドいですかね~~(笑)

だから今の自分が居るんだなって納得(^^)

やはり現状は楽に生きてきた人間にはそれなりに、頑張って頑張って生きてきた人間にはそれなりの現状が割り振られる様になってる様です(笑)

確かに国や他人に文句ばかり言っている人達は、じゃあどれだけ努力してきたんだい?と問いたくなる人が殆どでは?

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